信じ抜くんだたとえひとりになっても
”信じ抜くんだたとえひとりになっても”
お笑い芸人西野亮廣さんが約4年半かけて制作した絵本「えんとつ町のプペル」
その絵本の中に登場するフレーズです。
無料公開をしたことで大きな話題になりました。
最近では映画化も決まったそうですね。
色んなところで話題になっているので、タイトルだけ知っている!
そんな人もいるのではないでしょうか。
まだ読んだことない人にぜひオススメしたい良書。
それがえんとつ町のプペルです。
この本が伝えたい事は、自分を信じることの大切さだと思います。
現代社会において、夢を見る人は叩かれます。
ときには鼻で笑われることもあるでしょう。
でも自分が描いた夢ならば、叶えたい夢ならば最後まで信じて進んで欲しい。
そんなメッセージが込められていると感じます。
えんとつ町に現れたゴミ人間”ハロウィン・プペル”が、煙突掃除屋の少年”ルビッチ”と出会って星を探す物語。
ストーリーは、このようにして始まります。
4000メートルの崖にかこまれ、外の世界を知らない町がありました。
町はえんとつだらけ、モクモクと煙があがりここに住む人たちは青い空を知りません。
輝く星も知りません。
ある時夜空を駆ける配達屋さんが煙を吸って咳き込んで配達中の心臓をうっかり落としてしまいました。
視界が悪いので、どこに落ちたのかもわかりません。
配達屋さんはさっさと諦め、夜の向こうへスタコラサッサ、、、
そう、この町は視界が悪く青い空さえも見ることができません。
えんとつ町に住む住人は当然、星の存在を信じていません。
だから、星を探そうとする人を叩くのです。
どうせ無理だ、そんな馬鹿なことをして、、、と。
煙突掃除屋のルビッチは、亡き父が見たという”ホシ”の存在を信じています。
そして、その星を探すのですが周りの友達からはバカにれるんですよね。
だって彼らは星の存在を信じていない人たちだからです。
ただひとり星を探している少年ルビッチは孤独なのです。
そこに、この物語の主人公であるプペルが登場します。
もちろん彼も孤独なのです。
なぜなら彼はゴミ人間。ゴミからできた身体は臭く周りの人たちからも避けられています。
そんな孤独なふたりが出会い共に”ホシ”を探す物語。
それが、えんとつ町のプペルです。
だがしかし、ただ単に”ホシ”を探すだけの物語ではありません。
一緒に探すと誓ったのに、もう二度と会わないと決別をするシーンがあります。
少年ルビッチが、いじめっ子のアントニオにこっちに来いよとそそのかされるのです。
あんなヤツと一緒にいないで、こっち来いよと。
そう彼らは”ホシ”の存在を信じない人たち。
この集団に戻った時点で、ルビッチの”ホシ”探しは終わってしまいます。
ホントはやりたいことがあるのに、周りにそそのかされてグッと我慢してしまう。
結果として望まない環境にいる。
そんな状況を表しているようです。
ここでルビッチがプペルに放つ言葉も冷たい。
もうキミとは会えない。もうキミとは遊ばない
本心じゃないくせにと思いながら、読者の私も悲しい気持ちになりました。
そんなことで諦めてしまうの?と。
物語にはちゃんと起承転結というものがあって、”ホシ”は見つけられませんでした、、なんて結末にはならないわけです。
一度”ホシ”探しを諦めたルビッチの元に、プペルは自ら会いにいきます。
一緒に過ごしていたあの時とは違い、ボロボロに変わり果てた姿で会いに行くのです。
急がなきゃ、ボクの命がとられる前に
そうルビッチに告げ、彼を連れ出します。
ここからが、この物語のクライマックスです。
- なぜ、命がとられる前になのか?
- プペルは死んでしまうのか?
- なぜ”ハロウィン・プペル”なのか?
その謎が、最後に全てわかります。
この物語は、決して子どもたちだけに向けられたものではありません。
夢をみて、夢を語って、夢に向かって行動をして、鼻で笑われて、叩かれて、揚げ足をとられている
そんな”アナタ”に向けられた物語です。
信じ抜くんだ、たとえひとりになっても