おるたな気分

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ただ好きを発信する

「観察されると消費者の言動は変わる。」物理学が教える街頭インタビューの無意味さ

一見何の共通点もないようにみえる、

物理学とマーケティング

しかし、それら2つを連結させることで面白いことがみえてくる。

そう教えてくれたのが、Googleマーケティングを担当しているダン・コブリーさん。

様々な分野のプレゼンテーションを見ることができる「TED」の中で、その面白さが語られていました。

 


Dan Cobley: What physics taught me about marketing

一見何の共通点もないようにみえる物理学とマーケティング

しかし、両方に熱意を持つダン・コブリーが、ニュートンの法則、ハイゼンベルク不確定性原理、科学方法、熱力学の第二法則を引き合いに出し、全く関連のなさそうな2つを連結させ、ブランド構築の基本的理論を説明します。(概要欄より)

 

物理学は身の回りのことについて教えてくれる面白い学問だと思いました。

計算式ばかりで難しそうな学問のイメージが強かったのですが、

この動画をみてとても身近な学問に感じました。

 

ダン・コブリーが語る3つの物理法則

この動画の中では3つの法則が語られています。

  1. ニュートンの法則(物体質量が大きいとその運動方向を変えるのにより大きな力が必要になる)
  2. ハイゼンブルグの不確定性原理素粒子の位置と運動量を正確に測定するのは不可能)
  3. 熱力学の第二法則

 

その3つの法則の中で、2番目の不確定性原理について特に関心を持ったので書きます。

 

不確定性原理とは何か?

 そもそも不確定原理とは何かという話ですが、これは量子力学における基礎的原理でもあります。

素粒子の位置と運動量を正確に測定することは本質的に不可能というもの

素粒子とは、目で見ることはできない極小さな物質のことです。

例えば、素粒子の位置や運動量を測定するために光(センサー)を当てたとします。

普通だったらそれで”状態”がわかるはずですが、素粒子の場合は異なります。

 

光の粒子には運動量があるので、光をあてることで素粒子を飛ばしてしまいます。

なので、元々の位置がわからず正確な測定ができません。

測定するという行為自体が粒子の状態を変えて(動かして)しまうので、元々の位置がわからないのです

つまり観察するということが状態を変えてしまうのですね。

これがハイゼンベルク不確定性原理です。

 

インタビューは消費者の言動を変える 

ここでマーケティングの話に移ります。

マーケティングの基本といえば、市場調査ですね。

ネットで情報を募る場合もあれば、街頭インタビュー(アンケート)をして直接情報を集める方法があります。

 

この街頭インタビュー(アンケート)に関してですが、

ハウゼンブルグの不確定性原理において、

これら行為は無意味なものと結論付けられます。

つまり、消費者の声が必ずしも正しくないということです。

 

ハイゼンブルグの不確定性原理は、

”観察されることによって素粒子の状態が変わってしまう”でしたね。

これを街頭インタビューに当てはめるなら、

”観察されることによって消費者の状態(言動)が変わってしまう”ということです。

 

素粒子=ターゲットユーザー

測定行為=ヒアリング

こう考えるとわかりやすいです。

 

街頭インタビューであなたは事実を答えますか。 

実際に街頭インタビューをされた経験がある人はいるでしょうか?

  • この製品についてどう思いますか。
  • あなたは普段どんなことをしていますか。

質問内容は様々ですね。

質問内容がどんなものにせよ、

 

素直に答える人って案外少ないのではないでしょうか。

  • 面倒くさいなと思って適当に回答したり
  • 印象が良い答えを書いたり 

理由は様々だと思います。

しかも、街頭インタビューって知らない人からいきなり聞かれますよね。

そんな相手にペラペラと答えるのって中々難しいと思います。

 

Googleで最も検索されているのは「〇〇〇」

動画内でこんな話がありました。

例えば、

”日頃からインターネットでポルノを見ているとアンケートで答える人が何人いるでしょうか?とても少ないです”

”しかし、Googleで最も検索されているのはポルノです。”

 

普段、Googleでどんなこと検索してる?って聞かれて、

ポルノだよ!とは答えにくいですよね。

匿名性のアンケートなら、まだ答えやすいですけどね笑

これが街頭インタビューとかだったら絶対言えないです。

まぁ私はほとんど見ないので関係ない、、、のですが。

 

真実はいつもひとつ!?行動に着目せよ!

観察されると、消費者(相手)の言動は変わってしまいます。

だったら何を信じれば良いのか?

そう思いませんか。

 

世の中には、発言通り実行できている人もいるでしょう。

言葉に嘘偽りなく、過ごせている人はいると思います。

しかし、観察されると消費者の言動は変わってしまうという原則がある以上マーケティングにおいて(消費者の)言っていることではなく、実際の行動を見ることが大事であるとダン・コブリーさんは言っています。

 

街頭インタビュー(ヒアリング)が全く意味のないものだとは思いません。

しかし、証言のみを信頼するという行為は危険であるということです。

 

例えば先ほどのポルノの話に関していえば、

Googleの数字的データをみれば、ポルノ関連の検索が一番だということがわかります。

ポルノなんて見ないよ!という人の検索履歴を見てみましょう。

真実はそこに隠されています。

検索歴がたくさんあるということは、それだけ多く検索したという行動を示します。

 

今回は物理学×マーケティングの話でしたが、

他の分野でも応用できそうな内容ですね。

 言葉だけじゃなく、行動に着目せよ!ということでしょうか。

 

 

いい大人が簡単に諦めるとか言わないで

 

いい大人が簡単に諦めるとか言わないで、、、。

希望にすがって、すがって、やっと糸の先掴んだんだから。

この先何年かかっても、ボクは諦めない。
鋼の錬金術師・アルは、合成獣(キメラ)から人間のからだに戻ることを諦めた大人に上記のことを告げます。

今さら何をしたって無理さ、もう絶望的なんだと。

今の姿を受け入れることも、変えようとすることもせずに、ただただ絶望に浸っている大人に向かって少年アルは続けてこう言います。
自分の可能性を信じることもしないで『どうせ』とか『しょうがない』とか、そんな枯れたことを言うなよと。
確かにそうです。

自分で自分のことを信じないで、現在(いま)を変えることなんてできません。

わずかな可能性であったとしても、諦めたらそこで終わりなんです。

安西先生も激おこプンプン丸です!

 

鋼の錬金術師に登場する、少年アルはまだ10代。

強靭な鎧の姿からは想像しえない高い声(アニメ版)なんですよ。
禁忌といわれている『人体錬成』を行い人間の身体を失ったアル。

鎧の塊として、人間同様の生活を続けるのですが、やはり元の身体にもどりたいと思うのです。

からだに代償を負った兄・エド同様に、元のからだに戻るための手がかりを探す旅に出ます。
たくさんの試練と苦悩があり、ほんのわずかであるが元のからだに戻る手がかりを見つけていきます。

そんな最中に出会ったのが、絶望の淵で彷徨う合成獣(キメラ)たちだったのです。
『どうせ』とか『しょうがない』と言った言葉を吐き、たくさんのことを諦めた人も多いでしょう。

少年・アルのように、どんな困難な状態でも可能性を信じる人は凄いなと思いますか?

自分なんて『どうせ』と言ってしまいそうですね。
私は、アルが凄い特別な少年だとは思いません。

『どうせ』とか『しょうがない』とか言ってしまう人は、自分で自分の可能性を潰しているんです。

潰しちゃったら見えないですよ。

すぐ近くにあったのに、ネガティブな感情でアンテナを張ることをやめたら気づかなくなってしまいます、可能性に。

だから、いい大人が簡単に諦めるとか言わないで!

自分の可能性を信じることもしないで、『どうせ』とか『しょうがない』とか、そんな枯れたことを言うなよ。

自分自身にも常に言い聞かせたい言葉です。

仲間を忘れるな。

『”火影になった者”が皆から認められるんじゃない、”皆から認められた者”が火影になるんだ』

仲間を忘れるな、、、。

サスケの兄であるイタチが、ナルトに向けた言葉であります。

 

 

漫画・NARUTOにおいてクライマックスとも言える第四次忍界大戦。

幼少期から火影になることを夢見てきたナルト。

仲間思いで、使命感が強く、ときに自分を犠牲にしながら闘うことを恐れません。

火影にふさわしい人物になるため、その強い使命感から『この戦いはオレ1人で受け入れる』と宣言します。

上記のイタチの言葉は、このナルトの発言に対して言われたものです。

アカデミー時代(私たちでいうところの小学生)は、九尾使いという特殊な能力をもつ人物としてみなから恐れられてきました。

不真面目な少年であり、そのやんちゃさから嫌われることもあったのです。

そんなナルトが成長し、皆から慕われるような存在になったのは

ナルト自身が他人の存在を意識し、認められたいと一途に願い頑張ったから。

決して見返りを求めることなく、ただ仲間のことを思い戦ってきたのです。

そんな彼の姿勢が、周りを変え支えられる存在へと変化していったのです。

仲間がいたからこそ彼はここまで来れたのですね。

そしてイタチは、加えてナルトにこう言います。

『どんなに強くなろうとも全てを1人で背負おうとするな。そうすれば必ず失敗する』

強くなればなるほど、自分1人の力で世界が変えられると思ってしまいます。

そして、それが正義なんだと使命感が強い人は特に考えてしまいます。

しかし、他人の存在を忘れ”個”に執着するということは周りが見えなくなっているということ。

仲間の幸せを願いながら、その未来のために全力を尽くしてきたはずが

いつしか自分の欲望や願望にまみれた世界をつくってしまう結果になってしまうのです。

それは失敗であるとイタチは言います。

 

第四次忍界対戦でのキーマンとも呼べるマダラは、まさに自分の欲望や願望のために世界を変えようとする者。

この戦いの発端をつくった人物であり、この世から戦いを終わらせるために”戦い”を仕掛けるという

なんともまあ矛盾に満ちた動機なのであります。

しかし、彼の中ではそれが正義なんですよね。

争いのない世界を望む者からしたら、それは曲がった考えのように思えます。

だから、本当の意味でいつまでも強くありたいのなら仲間の存在を忘れるなと。

その言葉の意味が、冒頭のイタチの言葉に込められていると感じました。

 

『”火影になった者”が皆から認められるんじゃない、”皆から認められた者”が火影になるんだ』

強いものが偉いんじゃない、皆から愛され認められたものが偉大なんだと、仲間を思う大切さをイタチは教えてくれました。

 

物語は最後の”結び”で決まる!

『物語は最後の”結び”の出来で決まる。』

イチャイチャパラダイスで有名な自来也様のお言葉です。

漫画・NARUTOに登場する伝説の三忍の1人であり、ナルトの師匠でもある自来也

物書きでもある彼は死ぬ間際に、自身が生きてきた人生を物語になぞらえて回想するシーンがあります。

『思い返せばワシの物語は失敗ばかりだった、、、。』

  • 綱手に振られ
  • 友を止めることもできず
  • 弟子と師を守ることもできなかった

人は死ぬ間際に、できなかったこと・やらなかったことを後悔すると言われています。

どんなに偉大な人でも、悔やむことはあるのでしょうね。

『情けない、これが自来也豪傑物語の結びとはの、、、。』との言葉を告げ、最後くらいは残された仲間のためにと負けが決まった戦いに全力で挑みます。

死ぬとはわかっていたけれど、物語は最後の結びで決まるもの。

そして彼はまだ生きている。

死ぬ最後の瞬間まで、カッコよくありたい!これが男の生き様だ!といった感じでしょうか

弟子のナルト、そして残された忍びたちのために戦う姿には心を動かされました。

忍びの人生とはどうやって生きたかではなく、死ぬまでに何をしたかでその価値が決まる。

自来也様は、このような言葉も告げます。

私たちの人生も同じように、どうやって生きたかよりも死ぬまでに何をしたかで価値は決まるのではないでしょうか。

何度も失敗をして、軸が定まらずいつまでもフラフラして

決してかっこいいとは言える人生ではなかったかもしれません。

私自身、フラフラな人生を歩んできたので、世間一般的に見れば『情けない物語』なのかもしれません。

しかし、自来也様が言うように『物語は最後の”結び”の出来で決まる。』のです。

まだまだ終わってなんかいない、これからじゃないか。

失敗なんてものはいくらでも面白くできるのだ!!

 

失敗を恐れて挑戦をしない人がいますが、それはもったいないと思うのです。

周りから批判されて、ダメなやつだと思われるのが恥ずかしくて何もしないのはもったいないです。

そんなの人生の主人公にすらなれていないと思います。

確かに、挑戦することにリスクは伴いますがせっかくの人生おもいっきり生きましょうよ!

死ぬまでに何をしたかでその価値が決まり、最後の結びで物語は決まるのだから。

 

理想的に生きることと幸せについて

幸せボンビーガールという番組をみているとなんだか元気になります。

貧乏ってマイナスな印象がとても強かったのですが、

そこに映る彼女たちはとても楽しそうなのです。

バラエティ番組なので、面白く作り込んでいるのは確かなんですけど

それにしても応援したいという気持ちが自然と湧いてくるのです。

それはなぜだろうかと考えた時に、2つのことが思い浮かびました。

  1. 原因論におちいっていない
  2. 理想的な生き方をしている

原因論というのは、アドラー心理学の中で出てくる言葉で、

簡単にいうと言い訳して行動しないことです。

例えば、私は貧乏(お金がない)だから夢を諦めた。

もうこんな歳だから、夢なんて追えない、、、などです。

彼女たちはむしろ進んで貧乏になっている気がしますが、

そんな状況を言い訳にせず夢に向かって楽しんでいるように見えます。

幸せボンビーガールに登場する彼女らは、

歌手やアイドル、お笑い芸人など

ほんの一握りしか叶わないような難解な夢を持っている人が多いのも印象的です。

いつまでも夢見ごごちな彼女らをみて、

大丈夫かよ!?と思う反面リスクを自ら負う姿勢に勇ましさを感じるのかもしれません。

絶対に失敗したくないという現実的な生き方ではなく、

失敗してもいいと覚悟する姿勢は、まさに理想的な生き方だと思うのです。

そこまでの覚悟を持っているかは本当のところわかりませんが、、、。

チャレンジャーであることは、夢追い人にとって大事なことですよね!!

 

ここで1つ間違ってほしくないのは、

決して、幸せボンビーガールに出演する彼女らを見習えと言っているわけではありません。

世の中には、もっと現実的に物事を考えて挑戦している人はたくさんいます。

個人的に、NHKのデザインU-29という番組が好きです。

私と同じ20代の方達が、これまた自身の夢に向かってがんばる番組です。

幸せボンビーガールとは違って、より現実的でインテリジェンスな感じ。

両者ともに、夢の内容に差はあってもリスクをとる姿勢っていうのは同じだと思うのです。

ボンビーガールの方は、自分の生活も犠牲にしていますからね。

たまにゴミ屋敷みたいな家が映りますけど、

恋は盲目ならぬ、夢は盲目なのでしょうか。

片付けもできないほどに目の前のことに全力なのですね、きっと!

なんやかんや思うこともありますが、

何もしないで文句ばかり言っている人よりかは素敵に見えます。

だからこそ、応援したくなるのかもしれません。

少なくとも楽しそうに見えるから、こちらも元気になるのです。

経済的な幸せが唯一ではないことを彼女らから学びました。

 

人は大切な何かを守りたいと思った時に本当に強くなれるもの

『人は大切な何かを守りたいと思った時に本当に強くなれるもの』

少年漫画、NARUTO 第4巻に登場する白(ハク)の言葉です。

幼少期に両親を失い、ただただ孤独だった彼。

この世に必要とされない存在だと思っていたそんな彼が、

再不斬(ザブザ)と出会い生涯共にすることを決めました。

言いつけを守るただの道具として全てを捧げた白。

最後は自分の身体をはって再不斬(ザブザ)を守り亡くなります。

『おれが欲しかったのはあいつの血で、あいつ自身じゃない』

となんとも冷酷な言葉を吐く再不斬。

人の死が当たり前の世界にいるとこうなるのでしょうか。

そんな彼に対して、ナルトは涙ながらにこう言います。

『あいつはお前のために命を捨てたんだぞ!!』

こんな言葉が彼の心に響くのだろうかと疑問に思いながら次のページを開くと

『それ以上はなにも言うな、、、。』

と涙を流しながら語る再不斬(ザブザ)の姿がありました。

人の死に対してなんの感情も動かない冷徹な人だと思っていたので、

あの涙は反則でしたね。

そして、全ての人生を彼にかけた白が救われたように感じて嬉しかったです。(個人的に)

 

大切な何かを守るために生きるということは、

その人自身を強くさせるだけではなく、

周りの人をも感動させるエネルギーがあるのだとその瞬間思いました。

漫画のように、死を捧げるほどの信念を持って生きることは

なかなかないと思います。

しかし、私たちにも大切な何かはありますし

それは成長していく中でわかるのかもしれません。

 

例えば、『母は強し』という言葉がありますけど、

母親にとって子どもって何者にも変えがたい存在ですよね。

ほとんどの場合。

子どもができたら女性が強くなるのは、出産と同時に大切な何かができたから。

女性に限らず、父親になった男性にも同じことが言えると思います。

子どもは一人では生きていけないから、

自分たちが守っていく必要があるから。

そんな思いが自然と人を強くするのだと考えました。

そして、自分じゃない他の誰かのための強さが人々の心を動かすのです。

ときにそれは死をも招く可能性があるから。

覚悟の大きさが違いますよね。

自分のために生きる人とそうじゃない人では。

その強さを持てた瞬間に、人は一層成長するものだと学びました。

 

誰かのために生きるということの本当の意味。

漫画『スラムダンク』に登場する主人公・桜木花道って知ってますか?

一目惚れした女の子のために見栄をはってバスケ部に入るんですよ。

バスケ超初心者。

一目惚れした赤木清子ちゃんに好かれたくて入部したんです。

ちょっとバカげてますよね。

自分の興味うんぬんの前に、

勢いで入部決めちゃうんですもん。

すごくバカげてると思うんですけど、逆に人間味があって私は好きです。

桜木花道は、ピュアな男だなと思います。

私の元上司に、桜木花道のような人いたな。

その人は、大学で合気道やってたんですけど入部の目的が"好きな人に会うため"です。

大学ではじめるまでは、

全くの初心者で桜木と似てますね。

結局、その人とは会えなかったみたいですけど楽しい時間を過ごせたみたいです。

桜木といい、元上司といい

好きな人のために何かをはじめるってピュアで素敵だなと思います。

そんな彼らをみて、

アインシュタインの言葉を思い出しました。

『誰かのために生きてこそ人生に価値がある』

誰かのために生きるって言葉は少し誤解されそうですが、自分を見失うってことではない。

  • 親のために生きてきた
  • 恋人のために生きてきた
  • 友達のために生きてきた

〇〇のために生きたことを悔やむ人いますよね?

そのような人たちは、自分を見失ってまで誰かのために生きた人たちだと思うんです。

もし、そうだとするならばアインシュタインの言葉は正しくない。

誰かのために生きる人生に、何の価値もないんだということになります。

漫画『スラムダンク』を読んだ人ならわかると思うんですけど、桜木は決して自分を見失ったりはしてない。

大好きな清子ちゃんのために、強い男になろうと努力している。

その努力の積み重ねが、価値ある人生の創造になるんだと私は思うのです。

ピュアな桜木花道の試行錯誤が、

この漫画の面白さを際立てています。

全力ですよね、大切なものがある人は。

自分のためじゃなくて、大切な誰かのためだったら全力になれますよね。

そういう姿勢が、人を惹きつける魅力になるのかなとも考えます。

漫画『スラムダンク』に限らず、

ルフィやゴンも仲間のために生きてますよね。

誰かのために生きることに、なぜ価値があるのかと問われれば

それは、人はひとりでは生きていけないから。

この言葉に尽きるように思います。

自分というものを強調しながらも、誰かのために協調して生きていくことができたならば、

その人の人生の価値は、何倍にも大きくなるのだと考えます!

漫画「HUNTER×HUNTER」に学ぶ。運命は偶然ではなくて必然的なもの

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少年漫画「HUNTER×HUNTER」をご存知でしょうか?

主人公の少年ゴン=フリークスがまだ見ぬ父親のジンと会うため、父の職業であったハンターとなり、仲間達との絆を深める物語。

 休載期間がとても長いことでも有名な漫画ですね。 

 

私はこの漫画を読んで、運命について考えました。

ここでいう運命とは、人生を変えるきっかけになった出会いのことです。

 

ストーリー冒頭、

主人公のゴンは、ハンター試験中に同い年のキルアという少年に出会います。

この二人の出会いはまさに運命的なものであり、

その出会いは”運命”について考える良いきっかけになりました。

 

普通の少年と殺し屋の息子

主人公のゴンは、自然の中でスクスク育った普通の少年。

それに対してキルアは世界で一番有名な殺し屋ゾルディック家の息子。

 

まさに正反対といっても過言ではありません。

そんな二人はハンター試験で出会います。

 

殺し屋として生きていくことに窮屈に感じたキルアは、

「もっと他の人生も歩んでみたい」との思いでハンター試験に参加します。

そこで、夢や目標に一直線に向かうゴンの姿を見て仲良くなりたいと思ったんですね。

 

同い年というのもあって、二人はすぐに打ち解け合いました。

のちに二人は親友関係になりストーリーは進んでいきます。

  • お互いがお互いを大切に思う関係
  • 人生や生き方に刺激を与え続ける相手

ストーリが進んでいくうちに、互いに友達以上の大切な人になりました。

ハンター試験での出会いは、まさに運命的なものだと私は思いました。

 

日常生活で感じる運命的な出会いとは

私たちも運命的な出会いを望みますよね。

少年漫画「HUNTER×HUNTER」に登場する、

ゴンとキルアみたいな関係になりたい。

そんな人と出会いたい!!そう思います。

 

思うんだけど、現実ってそんなにないですよね。

いわゆる運命的な出会いっていうのは。

 

それはなぜかと考えたときに、

私たちは運命というものを偶然的なものだと考えているからじゃないかなと思いました。

つまり、

『じっと待っていたら訪れるもの』だと。

 

  • 白馬の王子さまに出会えたらいいな
  • 素敵な人現れないかな

そう思い焦がれる人いますけど、待っているだけでその願いが叶うんだったら

人生イージーモードです。

一億円当たらないかなって、小さな可能性にかけて宝くじを買うようなもの。

だから、待っていてもダメだなって考えました。

 

運命的な出会いをするために

では、運命的な出会いをしたい人はどうすればいいのか。

という話ですが、

それは出会いが運命的なものであったと言えるように自分でつくっていくしかないと思うのです。

 

だれでも一度は運命的な出会いを経験しているはずなんです。

  • この人と出会って人生が変わった
  • 結婚相手、恋人
  • 恩師
  • 師匠

出会った瞬間って、それが運命的なものかはわからないですよね。

何年か経った後に、あの人が運命の人だったと気づくのがほとんど。

 

その人とどんな関係になりたいか。

自分がどんな人生を歩んでいきたいか。

が重要になってくると思いませんか?

 

その出会いが運命だったかなんて、それは後からいくらでも理由付けできる。

だから、運命というのは偶然じゃなくて必然的なものと私は考えるのです。