おるたな気分

おるたな気分

ただ好きを発信する

本物の欲望とニセモノの欲望

 

ドラックストアでシャンプーを選ぼうとしたところ、

あまりに種類が多くて驚きました。

みなさんも一度意識して、陳列棚を眺めて見て下さい。

『こんなに沢山のものが本当に必要?』

と思うほどの商品が並んでいます。

多すぎてどれが良いのかサッパリわかりません。

 

たくさんの商品は個人の好みから生まれた

事実、ひとり一人にはこんな多種類の商品は不要です。

スーパーやディスカウントストアなど、あたりを見渡せばモノ、モノ、モノでいっぱいです。

それは、消費者がみんなそれぞれの好みを持っているから。

それに合わせて商品開発を続けてきた結果がこうなんですね。

 

例えば、昔は家族全員で同じシャンプーを使っていたけど、今は家族3人いれば各々好みのシャンプーをお風呂場に並べる、なんてことがあります。

シャンプー以外にも食べ物の場合だと、更に一人ひとりの好みは多様化するので、とめどなく商品が増えることになります。

ここで私は思うのです。

本当にそんなに沢山のモノが必要なんだろうか?

 

心の満足度をあげるには多様な商品が必要

世の中には、その商品やサービスの出現によって

  • 人のライフスタイルや人生の選択を変えるもの
  • 人の精神的な満足度をあげるもの

の2種類があると思います。

前者の代表的なものは、車や新幹線、飛行機です。

これらによって移動範囲が広がり、地方に生まれても東京で成功する人や中国で生まれてもシリコンバレーで成功する人が出てきました。

また、冷蔵庫や洗濯機、炊飯器などの家電の普及によって既婚女性が働けるようにもなりました。

インターネットもサービスのひとつで、世界を大きく変えようとしています。

 

一方、今売られている商品の多くは、ライフスタイルや社会的慣習を変えるわけではありません。

そうではなく『より自分の好みに近い商品』として提供されています。

  • 新しい風合いの生地
  • 自然界には存在しなかった花(青いバラ等)

個人の趣味嗜好に合わせようと”商品開発”されている時代です。

 もちろん、最初に物理的な欲望が充たされて、次に人々が精神的な満足を求めるのはごく自然なことです。

ただ精神的な満足の充足には、圧倒的に多様な商品が必要になります。

 

例えば、重いものはほぼ全員が重いと感じますが、何を美味しいと感じるかは人によって違いますよね。

心は身体よりも非画一的です。

だから心の満足を求めると、商品はとめどなく増えてしまうのです。

 

 それは本物の欲望か?

そんな世の中に溢れるものに流されまいとする人の中には、欲望=悪と捉える人もいるでしょう。

『贅沢は人を堕落させる』と考えたり、田舎に引っ越して自給自足の生活をする人もいます。

でも、私は欲望自体は悪いとは思っていません。

  • より楽しいもの
  • より便利なもの
  • よりワクワクするものを手に入れたい!

と思うことは、とても大事なことだと思っています。

しかし最近は、自分はニセモノの欲望を押し付けられているのではないか、と感じるのです。

「隠れたニーズを掘り起こす」なんて言葉をよく耳にしますが、実際には潜在的な欲望が発掘されているのではなく、たいして欲しくなかったものを欲しいと思わされているだけではないかと。

 

手に入れた商品を後から眺めてみて、たまに「これがそんなに欲しかったものだっけ?」と思うことがあります。

マーケティングや広告、あるいは”売れている” ”皆が熱中している”という言葉に惑わされて、手に入れたくなったものが、本当に自分が欲しかったものなのか、わからなくなるのです。

 

欲望とは『何かを心から欲しくなる気持ち』のことです。

欲しがる心、不足を感じて満たそうと望む心。

出典:Wikipedia

ものすごく欲しいと感じる気持ちのことですが、そう思う前に多すぎる選択肢が目の前に提示されてしまい、手にとってしまう。

販売者側(供給側)が先回りして”私たちが欲しそうなもの”を提示し、しかもクレジットカードやキャッシングだのまで用意してくれるので、欲望を感じる前に手に入れてしまうのです。

 

欲望とは「モノ」のことではなく欲しいと思う「感情」のことです。

私たちは、モノを簡単に手に入れる代わりに、欲望を取り上げられてしまっているとは言えないでしょうか?

 

ピュアな気持ちを取り戻したい

最近私は、自分のピュアな欲望を感じたいと思うようになりました。

これは過剰な欲望を抑えたいということでありません。

そうではなく『自分のオリジナルな欲望(本物の欲望)』『作られた欲望(ニセモノの欲望)』とを分けたいのです。

そうしないと、自分のオリジナルな欲望がかき消されてしまう。

このままでは溢れるモノに囲まれて暮らしながらも満足できない生活になってしまう、という危機感ができたからです。

  • 自分が本当に欲しいもの
  • 心から嬉しいこと
  • どうしても手に入れたいもの

これらをピュアに感じたいし、手に入れて心から満足したい。

でもそれは、棚に大量に並べられているモノの中から「どれにしようかな」的に見つかるものでは決してありません。

次々とクリックして買い物かごに入れていけば手に入るものでもないように思うのです。

きっと多くの人が同じように感じているんじゃないかな?